北海道日本ハムファイターズ 瀬川隼郎(28)
2015/04/06
北海道出身の遅咲きの選手ですが、
ドラフト会議でのエピソードが泣けすぎます。
プロ野球新人選択(ドラフト)会議で指名を待つ28歳という
プロ野球選手としては遅咲きの苦労人がいた。
瀬川隼郎。北海道の社会人クラブ「室蘭シャークス」の左腕投手だ。
平日は早朝から出勤し、
特殊な熱処理で金属の強度を検査する仕事を担当している。
仕事と野球の二足のわらじをこなして10年がたった。隼郎は父・和郎と母・元美の二男として札幌市で生まれた。
兄と妹を含め5人家族の幸せな家庭を突然不幸が襲った。
母に悪性乳がんが発見されたのだ。
「5年生きられるのは半分」と医師から宣告された父は
「精神的なショックを配慮し、本人にはむろん、幼い子どもたちにも事実を言えなかった」という。
家族でたのしい時間を過ごせる最後のチャンスと見た父は、
みんなをディズニーランドに連れて行った。
その2か月後の1995年1月13日に母は34歳の若さで逝った。隼郎は8歳だった。隼郎が野球を始めたのは小学4年の時だ。
父が全力でバックアップし、
育ちざかりの子どもたちのために弁当や夕食を作った。
その頃のことを父は
「丼物ですよ。カツ丼とかオムライスとか。バランスもへったくりもなかった。
うまくなくても愛情がこもっていればいいんですよ」と語る。「なんでもおいしかったです。お弁当すべてがおいしかった」という隼郎は、
2年前に3歳年上の泰葉と結婚し、10か月の息子、壮介の親となった。
父の苦労が実感として分かる立場になったのだろう。ドラフト会議を控え、
その父から20年前に母が幼い隼郎あてに書いた手紙を初めて渡された。
そこにはこんな言葉が綴られていた。「はやおはどんなおとなになるのかなー いっしょにいたかったなァー
いつもとおくからみまもっているいからね
びょうきやケガをしないようにまもってあげるからね じゃね バイバイ」
(http://www.j-cast.com/tv/2014/10/23219061.html?igred=on)
無事プロ入り後1軍で機会を与えられ、
オープン戦ではハム瀬川1回1失点、ほろ苦1軍デビューも収穫あり
[2015年3月14日17時12分]<オープン戦:DeNA3-2日本ハム>◇14日◇横浜
ドラフト5位のオールドルーキー、
日本ハム瀬川隼郎投手(28=室蘭シャークス)
がほろ苦い1軍初マウンドとなった。
1点リードの7回に2番手でオープン戦初登板。
1死からバルディリスに、
この日最速の146キロ直球を左翼席へ運ばれ、同点ソロを献上。
2死から柳田に四球を与えたが、後続は断った。
(日刊スポーツ:http://www.nikkansports.com/baseball/news/1446753.html)
4/5現在では、1軍で3試合2回1/3を投げて自責点0。
中継ぎとして、このまま活躍しつづけてほしいです。
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